ルチルクオーツ
石にまつわる雑記帳です どうか気軽にお読み下さい
ルチルクォーツ(Rutilated Quartz) 玉に瑕
ルチルクオーツは大変人気のある石の一つだ。特に金色に輝くルチルが入ったものは多くの人たちを魅了するようだ。
金への憧れか?金色の線を「金銭」と読み替える縁起物としてか?
ルチルの入り方は千差万別。力強く直線的にある方向を指し示すように入るもの、曲線を描いて優雅に舞うように入るもの、縦横無尽に飛び交うように入るもの… その造形はルチルが走る一瞬を、水晶が捕らえ閉じこめたようにも思える。
ルチル入りの水晶は、ライトアップすると更に魅力を増す。インクルージョンのない水晶では感じる事のできない世界がある。これは大変なご馳走だ。ルチルが水晶を際だたせているとも言える。
玉に瑕
完全無欠の透明水晶丸玉には、一点の曇りも許されない。ましてやルチルなど…
完全無欠の透明水晶丸玉には、それとしての世界があり、価値基準があり、表面の傷はもちろん、様々なインクルージョンは禁物だ。確かに流通する価格はかなりの開きがある。いくらルチルが美しく入った水晶丸玉であっても、100%クリアーな水晶丸玉の前では「玉に瑕」という事なのだろう。但し、100%クリアーな水晶丸玉は存在しない。あくまでも目視で100%クリアーな丸玉という事になる。顕微鏡レベルで100%はあり得ない。何故なら顕微鏡レベルで観察すれば、表面はでこぼこの「傷」だらけだからだ。いくら高度な研磨技術があっても、それは仕方のない事だ。結晶を削る訳だから…
不思議
それはさておき、何故透明なんだろう?何故光を通すのだろう?と考えると「不思議」が正しく楷書で掛け軸に書かれている気分になる。だってそこに分子があるんでしょう?!これだけの重さを持っているのに?!水やガラスやプラスチックやアクリルにしても同じだが、この「不思議」をわかりやすく紐解いてくれる説明に出逢った事がない。頭が受け付けないと言われればそれまでか!
分子構造とはそれほどまでにスカスカなのかぁ?ならば色のある分子構造はスカスカじゃないのかぁ?
悲鳴はさておき、次へ進む…。
空
仏教には「空」という概念があるという。
私などには理解しがたい概念だが、『般若心経』に「色即是空」という言葉があるという。そして「空即是色」と続くのだそうだ。その前段には「色不異空」「空不異色」とあるのだという。「色」とは形あるもの「空」とは形のないものと解説されるが、幾ら解説されてもおぼろげながらという所さえも見えてこない。「色」を識別できるもの、「空」を識別できないものと考えたらどうだろうか?あるいは光を通すものと通さないものに置き換えればどうだろうか?ここまで曲げてしまえば本来の「色」と「空」とは別物になってしまうのだろうが、「色」と「空」のとっかかりにはなるような気がする。更に曲げて「色」をルチル、「空」透明水晶にするとどうだろう?「色」であるルチルは「空」の透明水晶を確かなものとし、「空」である透明水晶が「色」のルチルを捕らえる。透明水晶に浮かぶルチルが、目視100%クリアーな世界では捉えようのない空間を浮きだたせ、「空」の存在を確かなものしているの事は理解できる。また、ルチルは透明水晶の中でその空間を生き、100%クリアーな世界に圧倒的な存在を示す。
無理があるだろうか?曲解が過ぎるだろうか?
この辺でやめておこう。頭がオーバーヒートしている。
美
美しいものにはただ魅了さていれば良い。あれこれと言葉を探しても捉えきれないし言い尽くせない。
小林秀雄という人の「モオツァルト」という文章に次の様な記述がある。
「美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよるも実は美しくもなく愉快でもないものである」
魅了してやまない石たちについて、あれこれと拙い文章を書いてしまうのは「抗し難い力」に違いない。
「普通一般に考えられているよるも実は美しくもなく愉快でもない」という部分は同感だが、これについては別の機会に書ければと思う。