勾玉(まがたま)について
石にまつわる雑記帳です どうか気軽にお読み下さい
勾玉(まがたま)について
勾玉(曲玉と書く場合もある)は古代の装飾具の一つです。日本と朝鮮半島の南部で伝えられる以外には、世界に類をみない独特の形をしています。その由来には、月をかたどったもの、胎児をかたどったもの、動物の牙をかたどったもの、魚をかたどったもの、腎臓をかたどったものなどの様々な説があり定説はありませんが、単なる装飾具でなく、呪術的な意味合いを持っていたあるいは祭器として使われたと考えられます。
縄文時代の遺跡から弥生時代、古墳時代の各遺跡から多数出土し、素材は翡翠、瑪瑙、碧玉、水晶、金、銀、ガラス、骨など多岐にわたります。また、形も若干変化しているようです。
勾玉と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、皇位継承の象徴とされる三種の神器の一つであるということでしょう。「ヤタノ(ヤアタノ)カガミ」「アメノムラクモノツルギ(クサナギノツルギ)」そして「ヤサカノ(ヤサカニノ)マガタマ」が三種の神器です。「古事記」には、アマテラスがヒコホノニニギを下す際に授けたと記されています。また同じく「古事記」の前段では、アマテラスが男装武装してスサノウを迎える場面で、アマテラスはみずら(耳の横の髷)やかずら(冠)や両手にいくつもの勾玉をつけていたと記されています。この勾玉をスサノウが乞い取ってかみ砕き5柱の神が生まれ、各地の国造(くにのみやつこ)の祖先になったと記されています。(ちなみに出雲大社の国造家もこの5柱の神のうちの一人を祖先にしていると云われていています。)つづく天の岩戸の場面でも、天の香山に生えていた榊の上の枝にはヤサカノマガタマを取り付け…アメノウズメが踊り…と…、存分に勾玉が登場します。また、「魏志倭人伝」に邪馬台国の台与が魏国に貢いだ品のリストには、翡翠の勾玉が2点あったと記されているそうです。数多くの貢ぎ物の中でたった2個だったということから、いかに貴重な品であったかがうかがわれます。
この勾玉が古代にどういう意味合いを持ち、どう使われたかは現在知る術はありません。ただ古代の遺跡から出土する事や三種の神器の一つに数えられる事、そして仏教伝来とともに次第に姿を消していったいきさつから、仏教伝来以前の古代人の精神世界、あるいは信仰を象徴するものであったことは確かなようです。
私たちは勾玉の付け方として、首飾りをイメージします。「古事記」の中のアマテラスはいたるところに勾玉をつけていますが、古墳から出土した埴輪の写真などを見ますと、勾玉は丸玉、管玉(マカロニ状の円柱型)と組み合わせネックレス状にして首からさげていたようです。そして勾玉の先端部分が胸側ではなく外側を向くようにしてつけていたようです。
一口に勾玉といっても形は様々ですが、頭(穴の開いた部分)と尾の部分がそんなに違わない大きさ、あまり尾の部分がとがっていないものが古代型のようです。現在出回っている勾玉は、加工の多くが中国などの海外で行われますので、先端がとがったものが多いようです。Shop
タンジェリンもできるだけリーズナブルなものをと考え、海外加工されたものを定番商品としておりますが、形はできるだけ古代型に近いものを選別しております。また、今回ミャンマー産翡翠・糸魚川産翡翠の勾玉を取り扱うにおいては、この古代型にこだわりました。何とも不思議な、そしてやさしい印象を受け、携える者を魅了してやまない形です。
現代の生活の中で、古代の様に勾玉・丸玉・管玉を組み合わせたネックレスをすることはためらわれる気がしてしまいます。皆さんも同感ではないでしょうか?身につけるとすればペンダントトップとして1個だけ、また天然石ブレスレット中にアクセントとして小型のものを取り付けるのが良いと思われます。またポーチに入れてポケットやバッグの中に入れて携帯するのが良いでしょう。大きなものは床の間や玄関、ベッドサイド、デスクサイトに飾るのも大変素晴らしい事と思います。