ラリマー

パワーストーン&クリスタルコレクションタンジェリン

石にまつわる雑記帳です  どうか気軽にお読み下さい

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ラリマー(Larimar) 「上善若水」

ラリマー

ラリマーのブレスレットを眺めていると、ふと「上善は水のごとし」という言葉が浮かんできた。

この言葉は、お酒に関して聞いた事が多かった。先輩から「本当に良い日本酒は水を飲んでいる様に味がないものだ!」と言われ、「そういうものなんですか?!」と味のわからないお酒をありがたく頂いたり、エスカレートしてくると「本当のお酒の飲み方は水のように飲むものだ!」という珍説まで飛び出す始末。アルコールに弱い私にとって、お酒に関しては”苦い”思い出の方が多い。

出典は『老子』

上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善(よく)く万物を利して而(しか)も争わず。
衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。

「最高の善は水のようなもの。水は万物に多大の恵みをもたらすが、争うことをせず、多くの人が嫌がる低い場所にとどまっている。だから、水は無為自然の「道」に近いのである。」
という意味である。最後の「道」は時に「生き方」と訳される事もある。

知恵ある者は人と争うことをせず、ひとりで静かな場所にとどまることに満足を覚えるものだと教えている。そのような場所にこそ、水がわき出るように、真実が宿るものなのだと。

どうだろうか?

一見、私たちを包む現代の価値観からは正反対のように聞こえる言葉だが、まさに現代にこそ必要な言葉… そして現代の価値観に包まれた私たちには”苦い”言葉だ。

ラリマーを見つめ、「上善は水のごとし」という言葉が浮かんだ事に驚きはない。それがこの石の”チカラ””果たすべき役割”と素直に感じている。

ここ近年、「上善若水」をはじめとする『老子』や東洋の古い思想の教えが、必要な時代だと思うようになった。そして未来は、市場経済至上主義のアメリカンスタンダードではなく、古くからあるオリエンタルな思想から生まれなければならないように思う。日本が戦後半世紀で捨ててきたもの、あえて言えば、消し去ろうと努力してきたものが、実はかけがえのない宝だったと気づいていい時期だと思う。
ラリマーの優しい水色に包まれていると心がフラットになるような気がする。とっかかりや引っかかりや、不安や恐れ、そんな感情でいっぱいの心をリセットされるようだ。

降り注ぐ太陽と、コバルトブルーの透き通った海、そして陽気なラテンのリズムが聞こえてしまうのは、少し予備知識が入り込みすぎているのかもしれない。ラリマーを産出するドミニカ共和国はキューバやジャマイカなどがあるカリブ海に位置し、ラリマーの水色にいかにも似つかわしいイメージを与えてくれる。
けれどその国からほぼ地球の裏側にある中国の古い言葉を、極東の島国の男が思い浮かべるのに違和感が無い。

地球は一つの石
ラリマーはそれを再認識させてくれる。

ラリマーブレスレット

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