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出雲地方のご紹介

出雲地区

Shop タンジェリンが店舗を構える
出雲地方のご紹介をさせていただきます
石の話も交えながら進めます!!

INDEX

  • 出雲地方の概略
  • 国譲り神話に関連して
  • ヤマタノオロチ伝説に関連して
  •  
    出雲地区

    出雲地方の概略

    当ショップがございます、島根県出雲市は出雲平野(斐川平野)に位置し、田園風景を色濃く残す地方です。
    斐伊川・神門川の豊かな水の恵みを受け、水田地帯がひろがるのどかな地方です。

    出雲地方と呼ばれるときは、島根県東部の宍道湖以西=現在の出雲市のエリアqを指す場合が多いようです。

    皆さん「出雲」と聞けばやはり一番最初に名前が挙がるのが「出雲大社」でしょう。
    また、大量の銅剣が発見され有名になった「荒神谷遺跡」も出雲市の東部に位置する斐川町にあります。

    もっと大きく島根県東部をさして出雲地方と言う場合もあり、夕日がきれいな宍道湖、温泉で有名な玉造温泉、ラフカディオハーンが愛した城下町松江という地域が含まれてきます。
    主な観光ツアーでお越しになる場合は、「神話の国いずも」というキーワードで、このあたりが含まれてくると思います。

    こう紹介するとやはり、「神話の国いずも」という事に触れなければならないでしょう。
    また、「玉造」という石好きの皆さんにはたまらないキーワードも出て参りました。
    出来るだけ石の記述も交えながら、出雲地方をご紹介していこうと思います。
    少しずつ書き足して行こうと思いますので、宜しくお願いします。

    当然私達は神話の国に住んでいるわけでは無く、実在の日本国に住んでいます…(笑)
    また、住んでいる者にとってはそのイメージで暮らしたことは無いのですが、やはり他の地域へ行くと色濃いイメージがあるようで、よく質問をされたり、お話しを伺ったりします。
    神話…主に古事記・日本書紀・風土記に、この地方の記述が多く見られます。

    皆さんよくご存じの、「国譲り神話」「国引き神話」「やまたのオロチ神話」はじめ、古代の日本の歴史を記したとされる記紀に出雲にちなむ記述が多くされていることに驚かされます。

    国譲り神話に関連して…

    多くの遺跡から出土品が銅鐸これはその名のとおり、大和朝廷の日本統一の過程で、この地域に大きな力をもつ勢力が大和朝廷に従ったという記述でしょう。

    また逆にこの地域の持つ力がかなり大きいものであった事を伺わせます。
    事実、斐川町の荒神谷遺跡では、それまでに日本で発見されていた数を遙かに超える銅剣が出土した他、多くの古墳・遺跡が存在しています。
    また、斐川町と接する大原郡加茂町の加茂岩倉遺跡では、こちらもまた、大量の銅鐸が発見された事も、記憶に新しい出来事でした。

    そして、それまでそれこそ伝説の中にあった、古代出雲大社の遺構(心の御柱)が2001年に発見され、高さ48メートルあったと伝えられる日本一の木造建築が古代には実在した事が、やや現実味を帯びてきました。

    雲を貫く巨大神殿これらの遺跡などからは、やはり出雲地方にかなりの力を持つ勢力がいたと言わざるを得ないでしょう。そして、大和朝廷との勢力争いの中で、次第に大和朝廷の勢力圏に組み入れられていったと考えられます。

    さて、皆様お待たせしました。石の情報です。

    勾玉先ほど、出雲大社で心の御柱が発見されたと書きましたが、発掘現場からは、同時に赤いメノウの勾玉が発見されたそうです。出雲大社へ献納されたものの一つではないかと推察されています。

    高さ27~28mm 幅16~17mm

    叶わぬ事とは知りつつも…欲しい!! (涙)

    この勾玉は先が細くとがらない、ふっくらとした形状ですね。
    出雲地方で作られた勾玉はこの形の様です。

    ヤマタノオロチ伝説に関連して

    オロチねぶた 八岐大蛇(やまたのおろち)は出雲風土記に登場します

    概略

    太古の昔スサノオノミコト(須佐之男命)が簸川(今の斐伊川)上流の鳥髪(とりかみ)の里(仁多郡横田町鳥上)の船通山を歩いてた時ふと川を見ると、川上からはしが流れてきました。それを見て人が住んでいると考え、さらに上流にのぼっていきました。

    しばらく行くと老夫婦がが娘をまんなかにして泣いているのを見つけました。

    スサノオノミコトが「なぜ泣いているのか」と聞くと、老夫婦は「八人の娘がいましたが、ヤマタノオロチが秋になると一人ずつ食べにくるので、とうとうイナダ(稲田)姫一人になってしまった。もうじき秋になるのでオロチがきて娘は食べられてしまう」と答えた。

    CG「長すぎた味見」 オロチとは「一つの胴体に頭が八つに尾が八つ。体長は、8つの谷と8つの峰にわたるほど大きく、目はホオズキのように赤く、火が燃えているようです。背中にはたくさんのヒノキや杉が生え、腹は血でただれている」という。

    スサノオノミコトは強い酒を八つのおけに用意させ、オロチがくるのを待ち、やがてオロチが現れ、八つの頭を八つのおけに入れ、酒をのみほした。酒に酔い眠りこんでしまったオロチを素早く退治した。

    オロチの正体

    これはズバリ斐伊川そのものと考えるのが一番自然です。

    斐伊川は出雲国の中で最大の川で、長さ153ロメートル、流域面積2070平方キロメートルの水量が豊かな川ですが、秋の台風時期になると氾濫した事が考えられます。

    斐伊川オロチは、出雲地方を流れる斐伊川という水の恵みとあらわしたものでしょう。

    古くから田園地帯であった出雲地方にとって、斐伊川という水の恩恵はかけがえのないものであり、また、一旦洪水になると全てを洗い流す大自然の脅威であったはずです。

    しかしまた、その洪水が肥沃な土砂をもたらすという事が何度も繰り返されたと思われます。そんな大自然の力を「オロチ」になぞらえたのが「やまたのオロチ伝説」です。
    腹は血でただれている記述が奇妙ですが、これは斐伊川の砂鉄が赤茶けた様子を表しています。

    後日談

    スサノウの命がオロチを退治した際に、オロチの尻尾からは一本の剣が出来たと記述されている。

    これは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれ、ヤマトタケルノミコトの窮地を救った事から、後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と改称され、皇室の三種の神器の一つになったと伝えられています。

    この伝承は斐伊川流域で起こった、たたら製鉄技術を表していると言われます。子供の頃、斐伊川で砂鉄取りをした覚えのある我々にはしっくりくる話です。



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